ジャパンビンテージ Epiphone Casino

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カテゴリー:  Gadget タグ:  guitar

Epiphone Casino

1983年製のEpiphone Casinoを購入しました。

ちょっとうれしすぎて、Epiphone Casinoにまつわる蘊蓄を語り尽くします。

Epiphone の歴史

Epiphoneというブランドは一般の人にはあまり馴染みがないかもしれません。 ちょっとギターをやった方は、Gibsonのリーズナブルなサブブランドとして 認知されているかもしれません。 実はEpiphoneは非常に歴史あるブランドで一時はGibsonともライバル関係でした。

もともとEpiphoneはトルコ系アメリカ人のスタトポウロ家が設立した楽器メーカーです。 当初はマンドリンやバンジョーなどを製造していましたが、1928年からアコースティック・ギターの生産を開始。この頃からEpiphoneというブランド名が使われるようになりました。 1935年頃になると、エレクトリック・ギターの製造にも乗り出します。そして当時、ライバル関係にあったGibsonとも激しい競争を行いました。

しかし第二次世界大戦中の資材不足で深刻な打撃を受け、 創業者の死去などもあり業績は低迷します。 そんな状況下の1957年にギタリストのLes PaulがGibsonと仲介役となり、 GibsonによるEpiphoneの買収が実現しました。Gibsonのサブブランドのイメージがあるのはこういう経緯ですね。

Gibson傘下に入ったEpiphoneでしたが、単なるサブブランドという扱いではなく 当時のGibson社長Ted McCartyが同等のブランドとして位置付けていたそうです。 かつてのライバル企業ゆえの評価だったのかもしれません。

Epiphone Casinoの誕生

Casinoは1961年から販売が開始されました。つまりGibsonに買収された後にできた機種です。

Casinoの特長は次のようなものです。

  • セミアコ・フルホロウボディ (センターブロックがない) 1
  • ピックアップは2基の金属カバーのついたP-90
  • ネックとボディとの接合は16フレット2

仕様だけみると1959年から発売されていたGibsonのES-330そのものです。 まぁ、そういうことでしょう。

結果的にセミアコ・フルホロウボディにP-90を搭載したギターは今ではそれほど多くありませんが 当時特に斬新だったり独自性があったりした訳ではないようです。

British InvasionとEpiphone Casinoの栄光

Gibsonの方針もありブランド力は保持していたとは言え、Gibsonと兄弟モデルのような ギターを販売していたEpiphoneが1960年代中旬以降に突然脚光を浴び始めます。特に Giboson ES-330と兄弟モデルであったEpiphone Casinoが人気となる現象が起こります。 その原因はBritish Invasionです。

1960年代に米国では英国のアーティストの曲が全米チャートを独占し音楽シーンへの影 響が高まるという現状が起きました。これがBritish Invasionです。British Invasion のきっかけとなり最も影響力のあったのがThe Beatlesです。そのThe Beatlesがレコー ド、コンサート、映画で全米を席巻し外貨獲得の貢献でMBE勲章が授与された翌年の1966 年6月16日のBBC ”Top Of The Pops”にこれまでトレードマークだったRickenbackerや GretchのギターではなくEpiphone Casinoを持ったJohnとGeorgeが登場します。その後の ドイツ、7月の日本ツアーでもEpiphone Casinoが使われています。

さらに、The KinksのDave Davies、The Rolling StonesのKeith RichardsらもCasinoを愛用し、彼らもツアーでもEpiphone Casinoを使いました。

このような英国アーティストによる露出のためか、Gibsonの出荷記録によるとCasinoの出荷本数は1963年=376本、1965年=853本、1966年=1,655本、1967年=1,814本と1960年台前半の5倍近く出荷したそうです。

Gibsonの凋落と生産国の変遷

その後経営陣に入れ替わりがあったりデザインやロイヤリティなどで揉めて1964~1966 年までLes Paulの名前が使用できなくなったりと経営母体であるGibsonが1960年代後半 ばたついている間、日本製を中心とした安価なコピーモデルが出回り始めGibsonの経営 自体がひっ迫していきます。そして、1969年にGibsonの親会社シカゴ・ミュージカル・ インスツルメンツが南米の複合企業ECL(Ecuadorian Company Limited、後のNorlin Corporation)に買収されます。

Epiphoneもこれらの影響を受けたのか、1960台後半はビジネス状況は悪化していったよ うです。実際Casinoの出荷本数も1968年以降急降下し、1969年は140本しか出荷していま せん。

こういった背景もあり、Gibsonの工場で生産されていたEpiphoneギターは1970年までに 米国内での生産は終了します。そしてOEMでの生産となり、選ばれたのが皮肉にも日本の 工場です。1970年以降Epiphoneは日本製となります。その後、1980年代前半になると生 産コストの上昇を理由に生産拠点が徐々に韓国に移されていきます。一部は日本での生 産も残っていたようですが、この頃からEpiphoneはエントリーモデルを多く生産するい わゆるお求めになりやすい価格帯のギターブランドに成り下がっていきます。

Epiphone Casinoが愛される訳

Casinoに採用されているピックアップ P-90は、シングルコイル特有の歯切れの良さもあ りつつ出力が大きくコシのある甘く太いサウンドを得ることができます。Casinoの場合 は、ホロウボディの効果とP-90に金属製のカバーに収められていることもあり、より甘 い音になっている気がします。中音域の抜けもよいので歌ものにもマッチします。

しかし、Epiphone Casinoがものすごく特長のあるギターかというと、正直Gibson ES-330と全く変わりません。Casinoに人気が出たのも、たまたま英国のアーティスト が、特にThe Beatlesが手にしたのがES-330でなくCasinoだったのがその後のCasino人気 の要因です。

The BeatlesがEpiphone Casinoを愛した訳

The BeatlesにEpiphone Casinoを持ち込んだのはPaul McCartneyのようです。

Paulは1962年製のCASINOを1964年に手にしていて、 1965年2月のレコーディングとされるアルバム「Help!」で早速使用しています。 Paulがその後のインタビューで語っているところによると、 Casino入手のきっかけは次ようなものです。

  • BluesbreakersのJohn MayallにB.B. King、 Eric Claptonなどの音楽を聴かされ、 その中で使用されていたGibsonのホロウボディの音がPaulが気に入って、John Mayallは 1955年に日本で購入したホロウボディのギターを紹介したそうです。
  • それがきっかけなのか、楽器店に行ってJimi Hendrixがやっていたフィードバック 奏法が出来るギターを求めたら、たまたま店員が進めたのがCasinoだったので購入した

その後、Paulが使用しているのに影響を受けて、John LennonとGeorge Harrisonも CASINOの使用を始め愛用していました。PaulもJohnもThe Beatles解散後もCasinoを愛用 しているので本当に気に入ったのでしょう。

私なりに彼らがCasinoを愛用した理由を想像すると、次のようなものだったのではないかと考えます。

  • 初期のThe Beatlesが演奏していたChuck Berry的なコードフォームをベースに音を分 散させた複音中心のギター奏法から、1965年以降は当時流行していたBluesなどの影響か らドライブさせたギターの単音でチョーキングを多用するギター奏法に移行していきま す。この移行に伴い出力が弱くサスティーンが得にくいRickenbuckerやGetchのギターは 新しい奏法にマッチせず、より出力の強いP-90を搭載したCasinoが新しい奏法のも対応 しやすかった。
  • 当時まじめにフィードバック奏法はイケてると受け止められており、ホロウボディで フィードバックが起こりやすいCasinoは好都合だった。(実際のステージではフィード バックは問題になりますが、1966年には彼らはツアーをやめてしまいます)
  • ホロウボディのCasinoは生音も適度に鳴るので、ツアー中の作曲に都合がよかった。
  • Bigsbyのアームが付いた適当なギターがCasinoしかなかった。

日本製Casinoについて

Casinoの日本での生産が始まったのは、おそらく1976年前後と言われています3

製造したのは、当時荒井貿易のギター製造を請け負っていたマツモク工業です。この時期(1976年から1982年)に製造されていたCasinoはラベルに因んで「ブルーラベル」と呼ばれています。

その後1982年からは日本ギブソン設立がありEpihoneの日本での販売ルートも変わったためか ラベルが変更されます。この時期のCasinoは「ベージュラベル」と呼ばれています。 製造は以前と変わらずマツモク工業のままです。

1987年にマツモクが操業を停止したため、それ以降は日本では寺田楽器が製造を担当しラベルが 変更されこの時期のCasinoは「オレンジラベル」と呼ばれるようです。

当時これらの日本製のCasinoは7万円前後で販売されていたと思います。

1983年ごろから並行して韓国での製造も始まったようですが、区別方法は私は知りません。

私がCasinoを購入し手放した訳

私はThe Beatlesリアルタイム世代ではありませんがハマっていました。Paulが弾くリードギターに憧れていたので、大学入学時に一度Casinoを購入しました。今から考えると、荒井貿易から日本ギブソンに扱いが変わった時期で、入荷に時間が掛かった記憶があります。ラベルがブルーだったか、ベージュだったか憶えていませんが。

Bigsbyのアームをつけて8年位は使っていましたが、80年代後半はハイゲインでロック式トレモロアームを使った攻撃的演奏が流行っていて、16フレットジョイントでハイポジションが弾きづらいCasinoに価値を見いだせずIbanezのギター購入時の下取りで二束三文でたたき売ってしまいました。あー、バカ、私。

まぁ、そんなこんなであの頃の音をもう一度という気持ちで30万オーバーのUSAモデルは躊躇し、20万円台で当時のそのままの音であればよいかというのでこのギターの購入に踏み切りました。

今回購入したCasino

今回購入したCasinoは、ラベルがベージュでシリアル番号が 306xxxx なので、おそらく 1983年06月出荷でマツモク工業製だと思います。

Casino Label

ちなみに、この時期のEpiphoneのシリアル番号は、以下のような体系のようです。

  • 1桁目: 生産年
  • 2〜3桁目: 出荷月
  • 4桁目: 不明(生産工場識別番号か)
  • 5桁目: 不明(通し番号か)
  • 6〜7桁目: 出荷通し番号

この時期のマツモク工業や寺田楽器製のギターを「ジャパン・ヴィンテージ」と呼ぶ人がいます。 Epiphone Casinoに関して言うと、その後の韓国製や中国製があまりに酷かったので1980年代の 日本製は評価が上がっているのだと思います。 例えば、オリジナルのCasinoはネックがマホガニーですが、日本製のCasinoのネックはメイプルです。

オリジナルを求める方は、Epiphone Casino Vintage Made in USA Collection を買いましょう。40万円近くと少々値が張りますが。

ヘッド裏のエッジ部にタッチアップ痕やバインデイング部の黄ばみや一部表面的なク ラックがあったりドッグイヤーのピックアップカバーも曇っていて経年を感じさせます が、全体的にボディも美しくネックも正常です。プレットは7割程度ですが十分にプレイ コンデイションです。

Casinoと言えば、 アルバム「Help!」でPaulがリードを弾いていた”Another Girl”を思 い出すので、手に入れたCasinoで弾いて見ました。

Yostos · Another Girl

(2024-04-28更新)

アルバム『Rubber Sould』からPaulがCasinoを使ったかもしれない曲を演奏してみました。

Yostos · Drive My Car

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  1. 日本では一般にセミアコ・フルアコという区別しかしないことが多いので、Casinoは人によって「フルアコ」と言ったりしますが、海外ではボディの厚み(セミアコかフルアコか)とセンターブロックの有無(セミホロウボディかフルホロウボディか)の2つで表すようです。 

  2. 時代と製造国により17フレットや19フレットの仕様があるようです。 

  3. 日本でGibsonのエージェンと請け負ったのは荒井貿易でしたが、1970年から1976年までは荒井貿易のブランドであるAria Proとして販売していた海外コピーモデルにブランドロゴだけEpiphoneに張り替えたギターを販売するようなことが行われていたようです。その後Epiphoneのモデルの生産がきちんと日本でも始まったのが1976年とのことです。 

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